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ダリフラ本編考察㉒「生きる」ということ

「生きる」ということ

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第21話「大好きなあなたのために」より ©️ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会  

「生きる」ということ、それが如実に表れたのが第21話だと私は感じました。

 

ヒロにとっての「生きる」ということ、ゼロツーにとっての「生きる」ということ、オトナが、叫竜が、VIRMにとって「生きる」ということ……

 

それぞれの「生きる」ということを通して、『ダリフラ』の主題に迫る、今回はそのような考察をしたいと思います。

 

 

ヒロ/ゼロツー

ヒロ

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第21話「大好きなあなたのために」より ©️ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会  

ヒロの「生きる」ということは、21話においてストレートに言葉で表現されていました。

 

001「なぜだ……?なぜまだ抗っている……?これはお前たちの戦いですらなかったのだぞ」

ヒロ「同じだったんだ。オレも君たちと同じだった。戦うために生まれたことに何の疑問も持たずに、死ぬことも恐れなかった。でもわかったんだ。そんなの生きているって言わない。ゼロツーに会ってわかったんだ。泣いたり、笑ったり、誰かを好きになったり……そういう時間がたまらなく大切で、守りたいってわかったんだよ」

001「……!」

ヒロ「けど死んだら全部失ってしまう。何もかもなくなってしまう。そんなのは嫌だ!オレは絶対あきらめない!約束したんだ!ずっと一緒だって!オレは戦うために生きるんじゃない。生きるために戦うんだ……!」*1

 

戦うために生まれたことに何の疑問も持たずに、死ぬことも恐れなかった」というヒロの以前の死生観とも呼ぶべきものは、第6話の決戦前のゼロツーとの会話に現れていました。

 

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第6話「ダーリン・イン・ザ・フランクス」より ©️ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会  

ヒロ  「ゼロツーは、なんで叫竜と戦うの?いつも楽しそうに見えるから、理由があるのかなって」

ゼロツー「理由か……僕が化け物だからかな?ダーリンはどうなの?」

ヒロ  「え、オレ?オレはパパや都市のオトナたちを守るためかな」

ゼロツー「それだけ?」

ヒロ  「それだけ。だってオレたちはそのために生まれてきたんだから

ゼロツー「ふーん。つまんないね」*2

 

以上のようなセリフから、ゼロツーと出会った後の「泣いたり、笑ったり、誰かを好きになったり」という時間が、戦うために生きていたヒロを「生きるために戦う」と言わしめるまで変貌させたということになるでしょう。

 

また、「泣いたり、笑ったり、誰かを好きになったり」という時間を、「けど死んだら全部失ってしまう。何もかもなくなってしまう。そんなのは嫌だ!」と、死ぬと失われるものとして捉えていることも、ヒロの死生観の特徴と言えるでしょう。

 

そのようなヒロにとって大切な「時間」の喪失への拒絶は、未来においてもそのような「時間」を送りたいという願望の裏返しのようにも受け取れます。

 

そのような「時間」が、ヒロ自身の歩む時間だけを指すのか、それとも仲間たちの歩む時間をも含むのかは議論の余地がありますが、ヒロがこれからもゼロツーと幸福な時間を過ごしたいと考えていることに間違いはないでしょう

 

ヒロの「生きる」意味は、「泣いたり、笑ったり、誰かを好きになったり……そういう時間がたまらなく大切で、守りたいってわかったんだよ」に集約されていると言えます。

 

ゼロツー

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第21話「大好きなあなたのために」より ©️ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会  

またヒロと同様に、ゼロツーもヒロと「一緒にいる」ことを第一に考えています。

ゼロツー「ダーリンが待ってるんだ」

博士  「行ってどうする?おそらくスターエンティティにはVIRMの罠が仕込まれている。奪い返せたとしても、やつらの謀略にはまるのが落ちだ」

ゼロツー「だから何?」

博士  「ん?」

ゼロツー「叫竜の姫とかVIRMとかどうだっていいよ。ボクがまがいものでも化け物でも構わない。ダーリンと約束したんだ。ずっと一緒だって。もし離れても必ず迎えに行くって」*3

 

 ゼロツーの言っているように、ヒロと一緒にいることの前では「叫竜の姫とかVIRMとかどうだっていい」わけです。

 

それどころか、あれだけこだわっていた人間になりたいという願望すら「ボクがまがいものでも化け物でも構わない」と捨て去ります。

 

要するに、ゼロツーが求めていたのは、物質的な(肉体としての)意味での「人間」ではなく、精神的な意味での「人間」だったと言えます。

 

その後「ボクをつくってくれて、ダーリンに会わせてくれてくれて、ありがとう」と言うゼロツーに、博士が「いつの間にか人間らしくなったな」とつぶやくシーンがありますが、ここにゼロツーが最終的に行き着いた理想の精神的な「人間」像が表れていると言えるでしょう。

 

「つながるものがいることで、輝く命もあるのかもしれぬ」

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第21話「大好きなあなたのために」より ©️ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会  

以上のようなヒロやゼロツーの生き様は、001によって代弁されます。

 

001「それがお前たちの生きるということなのか。我々はつながりを捨て、孤独になることで、強く、完全になれると信じていた。しかし、つながるものがいることで、輝く命もあるのかもしれぬ*4

 

「つながることで」、人間同士が関係を結び「泣いたり、笑ったり、誰かを好きになったり」という時間を共有することで、ヒロやゼロツーのように「輝く命」も確かにあるのかもしれません。

 

男女一組でしか動かせないフランクス、しかしそこには一筋縄ではいかない人間関係がありました。

 

思いを成就できたミツルやココロ、反対に思いが叶わなかったイチゴやフトシ、環境の不条理に葛藤を抱えたイクノ、憧れが打ち破られたゾロメ、彼ら彼女らはみな人と人との間で関係を結んできました

 

「つながる」から快適であり、面倒でもあり、幸福でもあり、不幸でもある、しかしそんなすべての時間が愛おしく、輝いている、ヒロとゼロツーの死生観はそのようなメッセージを訴えかけようとしているとも取れます。

 

同時にそれは、ロボットアニメであるとともに「つながること」を描き続けた『ダリフラ』からのメッセージでもあるのかもしません。

 

フランクス博士

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第21話「大好きなあなたのために」より ©️ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会  

他方、ヒロやゼロツーと全く異なった生を歩んだのがフランクス博士です。

 

彼は自分の人生において、一貫して自分のしたいことに傾倒し、それを完遂したと言えるでしょう。

 

フランクス博士の罪深さ

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第19話「人ならざるモノたち」より ©️ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会  

フランクス博士は、APEと手を結ぶ以前から「クローン実験をはじめ、禁止されている違法な実験」を禁止される以前に行うという型破りな人物でした。

 

また「理想のエネルギーであるばかりでなく、不死さえも可能にするというマグマ燃料。そんなできすぎた話があるだろうか」と疑念を抱きながら、彼は不老不死の実現を目指しました。

 

さらに21話を見る限りでは、「メスの魂はその兵器へとつながり、オスの魂は操縦席であるコアへと宿っていった」と自ら語るなど、叫竜ひいては叫竜人の背景を知りながら、その構造をフランクスに転用しています。

 

このようにAPEの計画に疑念を抱きながら、また叫竜人という生命を知りながらも不老不死を実現させ、コドモを創造したということは、ある観点からは非常に罪深いとも言えます。

 

つまり、フランクス博士が自身の研究により結果的にはVIRMの侵略計画を推し進めたこと、叫竜という生命を冒涜に等しい行為で乱用したこと、倫理観を無視した使い捨てとも言えるコドモという生命を創造したことは、地球や叫竜、現代の倫理観といった観点からすれば非常に罪深いと考えられます

 

ただし逆に捉えれば、フランクス博士の観点から、あるいはVIRMの観点から見れば、フランクス博士に罪などではなく、むしろ目的達成のために忠実であったと言えます。

 

自分の嗜好を貫く生き様

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第21話「大好きなあなたのために」より ©️ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会  

VIRM側、あるいはフランクス博士側からの視点によって、フランクス博士の「罪」は看過されます

叫竜の姫の美しさに魅せられた博士は、ゼロツーという美の代用品を作り上げ、「ストレリチア・アパス」という理想の美の完成を見届け、美しさに魅了されながら瓦礫の下敷きとなります。

 

彼は自分の人生を通じて、「美しさ」にこだわり続け、理想の「美」を観照しながら生を全うします*5

 

端的に言えば、彼は好き放題やって生を全うしたわけです*6

 

自分の理想を追求し続け、それを完遂するという生の形を、フランクス博士は提供してくれたと言えるでしょう。

 

 

「生きる」って何だろう?

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第21話「大好きなあなたのために」より ©️ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会  

「生きる」って何でしょう?

 

ヒロやゼロツーのように「つながること」でその生が輝くことなのでしょうか、それともフランクス博士のように理想を追求し続け、それを全うすることなのでしょうか……?

 

例えば叫竜の姫が言うように、叫竜たちは「つながりを捨て、孤独になることで、強く、完全になれると信じていた」のですが、そのような生はどうでしょうか?

 

『ダリフラ』においては、オトナや叫竜において「つながらない」生が提示されながらも、やはりヒロやゼロツーのような「つながる」生の方が重点的に、肯定的に描かれていると見ることができます

 

果たして「つながる」生の方が理想的で、幸福な生なのでしょうか?

 

「つながる」生は確かに幸福度が高いのでしょうが、自分の理想の人と結ばれなかったという意味で「つながれなかった」イクノやフトシの生はどうなるのでしょう?

 

あるいは生殖機能が喪失し、精神的な「つながり」も薄れたオトナの生はどのように受け取れるでしょう?

 

VIRMのために何千万年という時を生きた叫竜の生は、肉体を捨て魂が「つながる」というVIRMの生はどう見ればよいのでしょう?

 

「つながる」ことで輝いたヒロやゼロツーの生をきちんと考えるためにも、オトナや叫竜、VIRMら他の生き物の生を見直す必要があるでしょう。

 

オトナや叫竜、VIRMの生についてはまた改めて考察したいと思っています。

 

読者の方々も、「生きる」ということがどんなことか、『ダリフラ』とともに考えてみてはいかがでしょうか。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

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<ダリフラ考察まとめはこちら↓>

*1:『ダーリン・イン・ザ・フランキス』第21話より引用。太字は筆者による。筆者が聞いて書き起こしたものなので、表記は正確ではありません。以下の引用もすべて同様

*2:『ダーリン・イン・ザ・フランキス』第6話より引用

*3:『ダーリン・イン・ザ・フランキス』第21話より引用

*4:『ダーリン・イン・ザ・フランキス』第21話より引用

*5:死んだとは限らない

*6:死んだとは限らない