野の百合、空の鳥

アニメ・漫画・文学を「読む」

当面の展望と手法「武装」のすすめ

 

 当面の展望と手法

 アニメだけだとそんなにネタがない。

 ということに気づいてしまったので、やはりアニメだけでなく、他のこともこのブログに書いていきたいと思います。

 では何を書くのか、今回は当面の展望と手法とを具体的に記していきたいと思います。

 

「批評する力、考察する力」をつけたい

 ダリフラ考察をやっていて思ったことがあります。

 それは、自分には批評する力、考察する力が不足しているということです。「もっとこれをうまく言語化できたらなあ」、「これらの問題を総括するような観点はないだろうか」、そう思ったことが何度もありました。

 私は単純なことをあえて難しい言葉や概念で語る必要はないと思っています。しかし、自分の考えていることや感じたことがそう単純なものではなく可能性をはらんでいるとき、あるいはそれを他の問題と絡めて伝えたいとき、そういうときには難しい概念や難しい言葉が必要になってくることもあります。あるいは表現したいことを表現する近道として、既に批評の分野で語られている(難しい)概念が便利である場合があります。

 そこで私は「批評する力、考察する力」をつけるために、知識を身につけたいと思います。したがって、私はこのブログに知識、ひいては「批評する力、考察する力」を身につけていく過程を書いていきたいと思います。

 

具体的にどういう知識を身に着けるか

 私が具体的に身に着けたいと思う知識は大きく2つに分けられます。

 

フランス現代思想

フランス現代思想とは?

 1つはフランス現代思想です。

 フランス現代思想とは、すごく雑に言えばその名の通り「現代」の「フランス」で展開された「思想」です。具体的に言えば、思想区分では実存主義、構造主義、ポスト構造主義などと呼ばれている思想がここに分類されます。

 人名で言えば、例えばサルトル、メルロ・ポンティ、レヴィ=ストロース、フーコー、リオタール、バタイユ、ブランショ、デリダ、ドゥルーズ、ガタリ、それから前回紹介したロラン・バルトなどがフランス現代思想家に当たります。

 一見、アニメの考察や批評とは関係ないようにも思えますが、フランス現代思想は考察や批評に役立つ「思考の枠組み」を提供してくれると考えられます。

 具体的に言えば、ロラン・バルトなどは前回見たように「作者の死」のような批評の基礎とも呼べる考え方を提示しましたし、デリダなどは特に「言語」という根本的な問題点を考えています。

 

言語の問題

 この「言語」という問題に、フランス現代思想が敏感であるというのが、私がフランス現代思想を学ぼうと思った大きな理由でもあります。

 フランス語を学んでいる方はご存知だと思いますが、フランス語では特に発音(話し言葉)は同じでも文字(書き言葉)は違う単語が多く見られます。そのような背景もあり、デリダなどは話し言葉(声)と書き言葉(文)の「差」に注目して、自身の思想を展開しました。

 例えば、私が「犬」と言ったとき、人は四足歩行の、ふわふわとした、愛らしいあの動物をイメージするでしょう。しかしその想像された当の動物は、「犬」とは違い、そこには「差異」「遅れ」があります。

 ではその「差異」とは何なのか、「遅れ」とは何なのか、それを考えることで、言語の根本的な問題が明らかになってきます。

 私がブログでつかうのも、この他ならぬ言語です。そのような言語の問題について考えることは、批評や考察の意味自体や手法に大きな影響を与えることになるでしょう。

 

芸術論

 またフランスといえば、ルーブル美術館にイメージされるように芸術が盛んな国でもあります。そんな芸術が盛んな国であるからこそ、フランスでは優れた芸術論も数多く書かれました。

 例えば、バタイユブランショなどはその哲学や思想で有名ですが、優れた芸術論をいくつも書いています。というよりそれらの芸術論を含めたものが彼らの哲学思想と言った方がよいかもしれません。

 それらの優れた芸術論、特に美術に関する論文などは、「絵」を基本要素としたアニメの批評や考察にも応用できるでしょう。

 

絵画論・映像論

 身につけたい知識の2つ目は絵画論・映像論です。

 アニメーションといえば、絵と動画です。だからこそ、絵や動画の見方や鑑賞の仕方に関する知識が必要です。そのような知識をひっくるめて、ここでは絵画論・映像論と呼んでいます。

 正直な話、これについてはほとんど学んだことがないので、ほぼ0からのスタートとなります。その0からの軌跡をこのブログに記していきたいと思います。

 逆に考えれば、これから絵画や映像について学ぼうと思っている方々の参考にもなるかもしれません。本当に何からやればよいのかわからず、手探りの試みとなりますが、そのさまよいの様子も楽しんでいただけたらと思います。

 

 とりあえず今は以上の2つ、フランス現代思想と芸術論・映像論を中心に学んでいきたいと思っています。

 

身につけた知識をどう応用するか

身につける過程を記事にする

 身につけた知識を応用する前に、まず知識を身につける過程を記事にしていきたいと思います。その際、自分の中で整理するためにも、学んだことをわかりやすく説明することを心がけたいと思います。

 もちろん「身につける」と言ってもそう簡単に身につくわけではありません。

 特にフランス現代思想は難解です。その過程で誤ったことを書いてしまうこともあるかもしれません。そこで正確性も意識しながら、わからないことは今後の課題としてはっきり分別していきたいと思います。

 

考察・批評との並行

 もちろん、このブログのメインは考察・批評の方なので、知識を身につける方とともに考察・批評も並行して記事にしていきたいです。

 考察・批評のためにも知識はあるので、うまく身につけた知識を応用しながら考察・批評を行っていきたいです。

 そのように手探りで進んでゆく過程を楽しんでいただけたなら嬉しいです。

 

「武装する」ということ

 人間、伝えたいことだけを要約するならば、かなりコンパクトに収まると思います。

 好きとか嫌いとか、おもしろいとかおもしろくないとか、根本にある感情は、案外単純なのかもしれません。でもその感情は私だけの、あなただけの唯一無二のものであって、そんな簡単に言葉に収まらないものもあるはずです。

 

 ではそれをどうやって人に伝えればいいのでしょう。

 唯一無二で固有の生々しい思いを伝えるためには「武装」が必要です。

 その「武装」が、哲学や文学の難しい概念や専門的な言葉であったり、複雑な構成の文章であったりするわけです。

 もちろん「武装」は見てくれだけのものではなく、中身が伴っていなければなりません。それを使ってしか表せないから難しい言葉を使う、そういうものでしか表現できないから難しい概念を使う、そういう「武装」でなくてはなりません。

 そうして初めて「武装」は唯一無二の感情のために機能し、また、それを人に伝えるのに役立つはずです。言いたいことを様々な角度から、色々な仕方でもって表現させてくれるのが、「武装」だと考えられます。

 

 これから私は「武装」していきます。しかしその道のりはそう短くはないでしょう。私もこれだけで生きているわけではないので、長く時間がかかると思います。その旅路を、しばしの間楽しんでいただけたなら嬉しいです。

 今回も事務的な記事になってしまって申し訳ないです。次回は本筋に戻った記事を書いていきたいです。

 

 最後までお読みいただきありがとうございました。