2018年をふりかえって
今年もおしまいですので、何かご挨拶をと思い、書き始めた次第です。
このブログは、ダリフラとともに始めたので、もう約1年になろうとしているんですね……今数えてびっくりしました。
以前思っていたことを発信できずに悔しかったという思いと、実行にうつさないと何も始まらない!という勢いで始めたこのブログでしたが、おかげ様でたくさんの方々に読んでいただけて、ここまで続いております。
今回はこの一年を、すこしだけふりかえってみたいと思います。
考察(批評)とはなにか ――ダリフラ以前――
細かい反省などは以前の記事に書いたのですが、このブログとダリフラとは切っても切れないと思うので、少しこのことに言及しておきたいです。
今改めてふりかえると、やっぱりやって良かったという思いもつよいのですが、反省すべき点も、あとからいろいろと自分の中に出てきています。
一言でまとめると、「考察(批評)とはなにか」、という言葉にまとまる気がします。
例えばダリフラを見たときに、私はいろいろな想像をふくらませて、いろいろな可能性に言及したのですが、言ってしまえばそれは「制作側」の意図していないことであったり、勝手な想像であったりしてしまうこともあるわけです。
もちろんそれが無意味だ、ということもあるし、「制作側」が意図していなくてもそれ自体で筋が通っているしおもしろいからいいだろう、ということもあるでしょう。
要するに、どこまでが「考察(批評)」で、どこからが「自分勝手な想像(妄想)」なのか、その線引きが難しいのです。
その線引きというのは、ある程度までいくと、自分でなくて他者がするものではないか、となんとなく今は考えています。
例えば小説や絵画などは、絵によって様々な考察(批評)がなされるわけですが、どの考察(批評)が有効(有益)で、どの考察(批評)が無駄(無益)なのか、というのはその考察(批評)を見る人によって決まるような気がします。
もちろん考察は感想とは違うのだから、妥当であるとか妥当でないの線引きはあるにしても、それ以上の価値は他者が決めるものなのかもしれないと考えています。
当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、ダリフラの考察を通して改めて考察(批評)の難しさを感じました。
「考察(批評)とは何か」という問題は、これからも考えていきたい問題です。
これからの活動――ダリフラ以降――
そんなことを考えながら、ダリフラ以降もアニメや漫画、小説などいろいろな考察してきました。
やっぱりその根底にあるのは、自分なりの読みを提示して、それをとっかかりに読者の方々が様々な作品を楽しんでいただけたらよいな、という思いでした。
これからもその姿勢は崩さずにやっていけたらなと思っています。
おそらく2019年には、このブログにそこまで大きな変化はないでしょうが、これまで通り、いろいろな観点から、いろいろな記事を書けたらなと思っております。
とくに、アニメの考察は時間も手間もかかり、題材も少ないのであまりできていないのですが、アニメの考察をもっと頑張っていけたらと思っています。
2019年もよろしくお願いします
簡単な挨拶で済ませようと思ったのですが長くなってしまいました、許してください。
なんか挨拶だけだと物足りないと思ったので、2018年のアニメーションの話でもしようと思ったのですが、無になってしまいました。
けっこうたくさん見たかもと思っていたのですが、数えてみたら少なかったし、残念ながら熱心に見られたアニメも少なかったという印象です。
記憶に残っているのは、ヴァイオレット・エヴァーガーデンが綺麗だったこと、イナイレ6話で爆笑してたことと、BANANA FISHがエモだったこと、ペルソナ5最終回のOPがスーパーウルトラハイパーかっこよかったこと、青春ブタ野郎~がココロコネクトの強化版だったこと、ジョジョ5部の出来がとても良いこと、くらいでしょうか。
意外とありましたね。
アニメーション、大好きなので頑張ってほしいです。
それではみなさん、2018年はおしまいです。
ありがとうございました。
2019年です。
これからもよろしくお願いいたします。